幼少期からの生い立ち

前庭水管拡大症

長崎県諫早市にて、予定日よりも3週間以上早く生まれましたが、体重3,300g以上あり大きくとても元気な男の子として誕生しました。
幼い頃から活発で、外で遊ぶことが大好きな子どもでした。

しかし成長していく中で、言葉への反応が少し遅いことに気づき、親として次第に不安を感じるようになりました。
「もしかして何かあるのではないか」——そんな思いから国立医療センターへ通院を始めましたが、当初は原因が分からないままでした。

その後、九州でも耳の分野で名医として知られる神田E・N・T医院を受診し、「前庭水管拡大症」という診断を受けました。その瞬間は、これまでの人生の中でも最も大きな衝撃でした。頭が真っ白になり、「これからどうなってしまうのか」と強い不安に襲われました。

この病気は完治するものではなく、徐々に進行していく可能性があると説明を受けました。
将来への不安、本人のこれからの生活、周囲との関わり——様々なことが頭を巡り、気持ちは大きく落ち込みました。

それでも、「この子の可能性を信じたい」という一心で、たくさんの人に相談し、情報を集め、できることを一つひとつ探し続けました。
親としてあの時感じた不安や葛藤は、決して消えるものではありません。しかし今では、その経験こそが、本人の強さや挑戦する力につながっていると感じています。

そしてこの歩みが、同じように悩みを抱える誰かの希望になることを、心から願っています。

おしゃべりが功を奏す

補聴器と共に生活

幼少期だったせいもあり補聴器をつけての生活が始まってからは、耳に感じる違和感から、嫌がってすぐに外してしまう日々が続きました。
親として「どうすればいいのか」と悩みながらも、少しずつ慣れていく姿を信じて見守り続けました。

その後、補聴器を装着しながら通常の保育園へ通い、小学校では諫早市の支援により、難聴児のための特別クラスを設けていただきました。特別クラスと通常クラスを行き来できる環境の中で学ぶことができたのは、学校関係者の方々や周囲の理解と協力があってこそです。

補聴器を装着していても、他の子どもたちのように音や声がはっきりと聞こえるわけではなく、保育園や小学生の頃は言葉の習得や発音にも時間がかかりました。
それでも、持ち前の高いコミュニケーション力で自ら積極的に話しかけ、声を出し続けたことで、多くの言葉に触れ、同じような難聴のある子どもたちと比べても、より多くの言葉を覚え、話せるように成長していきました。

また、小学生の頃には定期的にろう学校へ通い、学びの幅を広げる機会もいただき、様々な環境に触れる中で、自分なりにコミュニケーションや学び方を身につけていきました。

そんな中、幸いにも運動神経に恵まれ、幼い頃から活発に体を動かすことが大好きでした。
父が代表を務める「スポコミいさはや」でサッカーを習い始め、仲間たちと夢中になってボールを追いかける日々が始まります。

小学生高学年では少年団、中学生ではクラブチームに所属し、高校は諫早商業高校サッカー部へ進学。
これまで一貫して、健常者と同じ環境の中でプレーを続けてきました。

そして、耳の状態については継続して専門医のもとで診てもらっていました。
神田先生からは「高校サッカーも全力で頑張ってほしい」と背中を押していただき、その言葉を支えに挑戦を続けてきました。

しかし、「前庭水管拡大症」という病気と常に向き合いながらの挑戦でもありました。

頭に強い衝撃を受けると聴力低下のリスクがあり、激しいめまいや吐き気、頭痛などの症状が現れることもあります。
実際に、これまで何度も苦しい状況に直面し、そのたびにプレーを続けるかどうかの選択を迫られてきました。

それでも簡単に諦めることなく、一つひとつ乗り越えながら成長してきました。
また、症状が出るたびに病院へ通い、その都度しっかりと診てもらうことで、不安を少しずつ安心へと変えてきました。
そうした積み重ねが、前を向き続ける力にもなっています。

親としてそばで見ていると、日常生活の中でも少しずつ聴力が落ちているのではないかと感じる場面もあります。
それでも身体はたくましく成長し、前を向いて挑戦し続ける姿があります。

誰かのためになると信じている

親としての想い

親としてずっと持ち続けてきた想いがあります。

それは、
「難聴だからできない」と諦めるのではなく、「聞こえにくいからこそ、どうすればできるのかを考える力を持ってほしい」ということです。

危険や不安があることも理解しています。
本音を言えば、無理はしてほしくないという気持ちもあります。

それでも、本人が挑戦したいと願うなら、その気持ちを尊重し、支え続けたい。
できない理由ではなく、できる方法を探し続けてほしい——
そんな願いを胸に、これまで歩んできました。

そしてもう一つ、強く願っていることがあります。
それは、難聴というハンデキャップがあっても、身体は健常者と変わらない動きができるということ。息子の挑戦や歩みが、同じように悩みや不安を抱えるご家族にとって、「こんな道もあるんだ」と思える希望になってほしいということです。

不安だった日々、悩み続けた時間、そして少しずつ前に進んできた経験。
そのすべてが、誰かの勇気や一歩につながることを願っています。

新なステージでチャレンジ

デフサッカーとの出会い

難聴という環境で育ってきたこともあり、「デフサッカー」の存在は以前から知っていました。
そして高校サッカー引退後には、「いつか挑戦したい」という想いを持っていました。

そんな中で迎えた高校3年生の夏。
遠征先で、偶然デフサッカー日本代表の試合を生で観戦する機会がありました。

音が制限される中で、目や身体で意思を伝え合うプレー。その一つひとつに強く心を動かされました。
「これがデフサッカーなんだ」そう感じた瞬間でもありありました。

そして同時に、心の中の想いが確信へと変わりました。
「自分もこの舞台でプレーしたい」

U23育成代表合宿

デフサッカーへの挑戦

高校サッカー引退後、卒業を控えたタイミングでデフサッカーU23育成日本代表合宿が3月にあることを知ります。

「今しかない」そう感じ、急遽参加を決意しました。

期待と不安を抱えながらも、これまで積み重ねてきたすべてを信じて、新たな一歩を踏み出しました。

合宿で感じたこと

サッカーのプレーでは、「この中でもやれる」という自信を感じる一方で、手話によるコミュニケーションの難しさという課題にも直面しました。
しかし、3日間寝食を共にする中で、少しずつ手話を覚え、意思疎通ができるようになっていきました。

「伝わる」喜びと、「理解できる」安心感。短い期間ながらも、大きな手応えを感じることができました。さらに、パラリンピックなど世界で活躍するフル代表の選手たちの存在が、自分の目標をさらに引き上げてくれました。

「自分もあの舞台に立ちたい」
「もっと上を目指したい」

そう強く思えた、人生の大きな転機となる合宿でした。
これまでの歩みは、決して平坦なものではありませんでしたが、それでも多くの支えの中で、一歩ずつ前に進んできました。

そしてこの挑戦が、
同じように悩みを抱える誰かの希望となることを、心から願っています。

5月にセルビア

世界へ挑戦する理由

U23育成日本代表に選出されたことで、世界の舞台で戦うチャンスをいただきました。
これまで積み重ねてきた経験、そして支えてくださった多くの方々の存在があったからこそ、今この場所に立つことができています。

その一つひとつに対して、結果で恩返しをしたい。
そして、自分自身の可能性に挑戦できることへの感謝を胸に、世界へと挑みます。

セルビアという舞台に立てることは、決して当たり前ではありません。
皆さんからのご支援があってこそ実現できた挑戦です。

その想いを背負い、全力で戦ってきますので、引き続き応援宜しくお願いします。

聴力低下していく

前庭水管拡大症とは

前庭水管拡大症は、耳の奥にある「前庭水管」という管が通常よりも広がっている状態で、主に聴力に影響を及ぼす先天的な疾患です。
幼少期から徐々に難聴が進行することもあれば、ある日をきっかけに急に聞こえにくくなる場合もあります。症状としては、難聴のほかに、めまいやふらつき、平衡感覚の乱れが見られることがあります。特に、風邪や発熱、頭部への衝撃などが引き金となり、聴力が低下するケースもあるため注意が必要です。

日常生活では、頭に強い衝撃が加わる動きはできるだけ避けることが大切です。
例えば、回転運動(でんぐり返しや激しいスピン動作)、ジャンプの繰り返し、接触の多いスポーツなどはリスクがあるとされています。また、転倒や衝突による頭部打撲にも十分注意が必要です。

万が一めまいが出た場合は、無理に動かず安全な場所で座るか横になり、安静にすることが第一です。
視線を安定させ、できるだけ頭を動かさないようにすると症状が落ち着きやすくなります。

症状が強い場合や長引く場合は、無理をせず周囲に助けを求め、医療機関での診察を受けることが大切です。適切な理解と配慮により、日常生活や活動の幅を保ちながら過ごすことができます。